平成9年、伯牙山の胴掛等の新調にあたり、
龍村美術織物にて調査の結果、
絹糸を巻いた水引が
胴掛の房の一部に
使われていることが判明しました。
2008年7月15日の宵々山の日に、
伯牙山を撮影してきました!
祇園祭の山鉾は大半のものが、
天明8年(1788年)の大火によって焼失し、
その後復元されましたが、
この伯牙山は焼失しませんでした。
この絹巻水引の使われていた胴掛は焼け残り、
江戸時代前半のものと思われます。
その当時の絹巻水引が現存していたのです。
その頃は、紙を漉き、
その紙に一手間加えた手こぎ水引に、
さらに絹糸をまいた水引ですから、
宝石よりも
貴重なものとして取り扱われていました。
宝石より軽いため、丸く結んで宝石のように
房のところに使われています。


[当時の伯牙山の胴掛]

[新調された伯牙山の胴掛]
小さく丸く結ばれてる紺と朱の京水引は
当社製でございます。
この胴掛の新調にあたり、
以前から絹糸を巻いた水引、
京水引を作っておりました当社で協力させて
頂きました。
現在の胴掛の房の所に、小さく丸く結ばれている
紺と朱の京水引は当社製でございます。
当社では、もともと絹巻水引と称していたのですが、他社によって機械水引で同じようなものを作り始められたため、京都への小売店出店を機に、
京水引と改めました。
祇園祭りの伯牙山に使われ、
名実ともに京水引となりました事を
うれしく思っています。
当社の京水引はもちろん
手こぎ水引からできています。

[房のところの拡大写真]
この丸い紺と朱が絹巻水引で出来ています。
伯牙山の方に許可を頂いて、
2008年7月14日(祇園祭 宵々々山) 15日 (宵々山) に
撮影致しました。
当店の水引が、房の部分に使われています。
(写真をクリックすると拡大します)
房部分の、丸い紺と朱が、当店の水引です。
水引に巻いてある細い糸は、人間国宝の方に染めて頂きました。
琴の名人である伯牙。琴も大切に飾られていました。